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京の季節の味

季節だより

◆ にしき

滋賀生まれ滋賀育ちの私は、子供の頃年に何回か京都に連れて来てもらっていました。

「大丸さん」で買い物して、帰りには「にしき」に寄っていたことを覚えています。まさにその名のとおり、錦市場はそこかしこが色とりどりの食材揃い。細い道を母の背中を追いながら、右を見たり左を見たりと目をキョロキョロさせながら、錦の雰囲気に飲み込まれワクワクしながら歩いていました。

京都の人々に「にしき」と呼び親しまれ、四条通りの一本北を走る錦小路通で、東は新京極に面した錦天満宮からまっすぐ西へ、高倉通まで。全長約四〇〇メートル、道幅三メートル、道の両側には一四〇もの店が軒を並べています。「にしき」の市の始まりは、四〇〇年前の室町時代に魚を商う市が立ったことによるらしいです。この付近が人口の密集した中枢部にあたることと良質の地下水が豊富に湧き出たために、魚や生鮮食品の貯蔵等に便利で、御所への納入の行き返りに自然にこの地に市場が出来たといわれています。(ちなみに、地下水は今でも使われていて、錦天満宮にこんこんと湧き出るご神水、あれも地下からの湧き水で、お店のほとんども今でも井戸を持っているらしいです。)

本格的な魚市場となったのは江戸時代に入ってからで元和年間(一六一五~一六二三)幕府より魚問屋の称号が許され、万治・寛文(一六五八~一六七二)の頃、京都では上の店、錦の店、六条の店(問屋町)三ヶ所が最も栄え、三店魚問屋といわれるようになりました。特に錦に店をもつ商人は、公儀から鑑札を得ることによって独占的な営業をしたといわれています。
明和七年(一七七〇年)に錦小路高倉に青物立売市場が奉公所より認められ、安永八年(一七七九年)魚問屋のそばに野菜の市場が開かれました。三店魚問屋の特権も明治維新後は廃止され、魚問屋等も自由に開放営業されましたが、同業者間の競争が激しくなり、その為倒産する店が続出したそうです。その後再び繁栄を取り戻しましたが、昭和二年に京都中央卸売市場が開設され、「にしき」の卸売業者の多くが移転しました。残った店と新しく入った店とで世の中の移り変わりの激しさにも耐えて、歴史と伝統を受け継いで『京の台所』と呼ばれる市場となりました。

現在は赤、緑,黄色の色鮮やかなアーケード。それぞれのお店が改装してちょっと今風にも変ってきましたが、魚屋、京野菜、お豆腐や湯葉製品、乾物、お漬物、おばんざい等々。「錦へ来て、そろわへん食べ物は一個もあらへん」といわれるように、たしかにちょっとしたおみやげ物から本格的な食材まで、京都と言えば思いつく食べ物はたいていあります。観光客はもちろんのこと、日々のおかずを買いに来る地元の人々にも、又プロとして食材を調達する料理屋さんにもどんな人にも対応できる市場だからこそ、やっぱり『京の台所』です。しゃきっとした白い千枚漬、黄色のふっくらやわらかそうなだし巻き、焼き色がなんともいえないぐじの焼いたん、真っ赤な京にんじん、きれいな緑色の壬生菜漬等々。お店ごとの味があるから、食べ比べ、味見三昧をしながら、お気に入りの味つけを見つけたりするところにも、「にしき」を楽しむ醍醐味があります。

久しぶりに、「にしき」の端から端までまわって楽しんでみたくなりました。

小谷 佳子

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